06年10月1日
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競馬 - くらべうま
いやー、凱旋門賞。120インチで見てたらそりゃ叫びますよ。させー!!
ところで、競馬(くらべうま)と言えば、うちの近くの上賀茂神社が有名だそうで。
神社の境内を二頭の馬が走りを競うんですよね。なんのために?
まぁ宇治でもやってるけど、検索にひっかからへん程度の知名度やなー。
ちなみに、俺が住んでいた宇治の木幡(こはた)にある許波多神社(こはたじんじゃ)は、
競馬発祥の神社とされている。と、聞いたことがある。本当ならすごー。
まぁええわ。とりあえず、日本馬が凱旋門賞を制覇する頃には
俺らも現地に行ける位に成長してるやろうってことですわ。
格好見てたら、フランスでは競馬は紳士淑女のスポーツみたいやったからなー。
競馬場とか所有してみたいなぁ。ロンシャー競馬場かな、名前は。
西の単機待ち、夢のまた夢です。もはや麻雀(あさすずめ)の話になってきた笑
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06年10月2日
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失格かどうかは自分で決めたい
正夢が現実となる今日この頃、寝るのがこわい、と思ったりもする。
明日こそは夢が現実にならないんじゃないか?そんな不安が大きくなったり。
確かに君の手を握っていた。感触もまだ残っている、この左手に。
君の左手にも残っているんだろうか。
俺の知らない誰かが向こうで引っ張っていた。
確かに自分は夢で言っていた。「手を、握りたい」
引っ張り合いっこは苦手。そうして逃げてたどりついたのが・・・失格?
太宰治の人間失格を読みきった。正直、文章的に意味不明な部分が多かった。
この人間は、孤独を恐れるあまりに自分を見失っていった。
帰ってからサラリーマン金太郎を読み始めた。
あまりにも対照的な人間がそこにあった。
どちらが人間失格なんやろう?意外と微妙な問いかけやなぁ。
最後に俺は手を離した。その先は知らない。これもまた正夢なのか?
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06年10月3日
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創造主
よし、俺はこれから何かを生み出すことにします。
これまで途中で投げ出してきた小説も、完成させてみたい。
短編映画の脚本ならすぐに書けるけど、短編小説ってのはそう簡単ではないなぁ。
お金にならへんのはなんとなくわかるけど、文章と戦ってみよう!
自分がいざやろうとしたら、作家ってほんまに孤独な戦いやなーと思いますよ。
マザー3やポケモンやレオやバイトや読書や柔軟体操や祭やらお祭やら。
いろいろと誘惑は多いけども、それらに負けないよう続けてみたい、終わるまで。
創英社の超短編小説コンテスト、わずか800字。例えばこれを踏み台に、
あの江國香織さんも選考委員を務めてはるすばる文学賞やなー。
2万字〜12万字。俺にとってはありえへん領域やけど、臨む価値は感じる。
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06年10月4日
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恋愛観における俺との相性診断
“危険”な俺にどこまでついてこれるかな?
ってか基本男ばっかやろうしそれが楽しみやな。
できればトニー・ジャー様にもやっていただきたいが、それは一生叶わないだろう^^
参考程度に、俺と徳さんは60%のつながりです。それがジロリアンの絆!
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06年10月5日
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DS電話!
IP電話? あぁ、一昔前にそんなの流行ってたっけ笑
あれから4年
ついに“ニンテンドーWi-Fi USBコネクタ”というぶつを3,200円で買いました。
これが何者か?
そう、ポケモンダイヤかパールがあればこれで無料電話がし放題なんですよね☆
「無料電話がし放題」、日本語間違ってでも強調ですよねー☆
初日から3時間以上も電話してしまいました。千葉県のオトジロウさんと。
夜中の0時から遊びだし、途中ポケモンの交換や対戦をはさみつつまた電話…。
気づいたらこの日記を書いているという寸法。午前5時45分です。
いやぁ、ほんまにボイスチャット機能はすごい。3千円分とかもぅ喋った気がする。
みんな、ポケモン買うなら絶対家でWi-fi通信できるようにするべき。
話題のWILLCOMも騒然、DSがライバルだなんて。超持ちにくい電話やけど。
ちなみに、何も所有してへん人がDS電話を始めるには、
DS本体+ポケモンが最低限必要ですので2万円は軽く越えまっさー。
音質はいまいちやのにね。オトジロウさんの声はよく聞こえてたけどね。
なんせ漢字で書いたら、「音二郎」。そりゃあいい声してるわ!彼もまたジロリアン。
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06年10月6日
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“ホームページ”との出会い
6年前のメールが残ってるんですよねー。
Yahoo!ジオシティーズからのメール。
高校2年生の秋ですか。釈迦部屋の種が蒔かれたのは。
“Yahoo!ジオシティーズは、自分の考えや情熱を世界と共有する機会をすべての人に提供するすばらしいサイバースペースです。”
これが6年前の昨日、ジオが目指していた姿です。
あの頃はみんながマイホームページ作りに夢を抱いていた時代でした。たぶん。
あれからホームページの容量は確か10MBから現在の50MBに上がり、
アドレス自体が変わり、ページ制作補助ツールができ、ジオログやYahoo!ブログが登場し、
アクセス解析や動画配信機能、アバターなど数々のサービスが付加されてきました。
今でも僕にとってのジオシティーズ(=釈迦部屋)は、僕の考えや情熱を、
そして何よりもあなたとの思い出を共有するための素晴らしいサイバースペースです。
6年後の今日、ここがどうなっているのか、一緒に見届けませんか?
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06年10月7日
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出口のない恋
中秋の名月でしたねぇ。空高く綺麗な満月やこりゃあ。午前1時です。
最近知り合ったジョジョという名の中国人留学生に誘われて名月まつりに行ってきた。
なんでも中国では家族団欒の行事だそうですよ。
いつか家族になってもええかなー、って人も交えて行ってきたけどほんまに面白い。
例えるなら“喉自慢風の歌手オーディション”。留学生が次々と登場し歌っていく。
亜麻色の乙女など日本語の歌もあり、なかなか太く突き通った声の持ち主ばかり。
司会をしていたジョジョは、まぁ中国語でなんも解らんかったけど笑いとってた、偉い。
とまぁ今日はどきどきしっぱなしで、なんかとてつもなく楽しかった。
“有意義な時間”って何を基準にすればいいのか戸惑ったりもするけど、
他のどんな時間にも代えることのできない“どきどき”をこれからも大切にしていきたい。
例えば、自分のベットで片思いの人が寝てたら。
息を殺し、足音を殺して、ただ寝顔を眺めることしかできないでしょう。
もしくは、例え暑そうに見えても布団をかけてあげるんでしょう。
そんなどきどきが有意義じゃないわけがない。わけがない!
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06年10月8日
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僕が西レオの歯車になります!
こないだ、我らが西レオクラブの32期幹事がそう叫んでいた。
それは確か、歯車職人のライオンさんが俺らをキャバクラに拉致してくれた時の事だ。
多少の酒はなんのその、彼の目は輝いていた。
西の歯車になれよ、という俺の助言を即引用して吐いたあの名言。
それから数日後、彼と会長と俺と3人だけの委員会だった。
彼の目は死んでいた。砂浜に打ち上げられたタツノオトシゴのように。
会長が言った。
「俺達の意気込みを感じろ。肝心なのはお前の気持ち。あかん自分を作るのもお前次第。」
まぁそんなこんなで立ち直った西レオクラブは、今日学生祭典で清掃しちゃいます!
京都西検定
てなわけで、京都西レオクラブが主催する京都西検定のお時間です。今日は5級ね。
問 32期京都西レオクラブが掲げる10月の月間目標は「■」である。
■に入る言葉を漢字一字で答えなさい。
まぁちょっと簡単すぎたかな。答えは当然「祭」ですね。
そんなこんなで開き直った西レオクラブは、今日学生祭典で清掃しちゃいます!
しかし、ちょっと本屋で立ち読みしてみたものの、京都検定ってほんま難しい。
「そんなこと知ってても・・・。」という問題の連続で、ちょっと戦意喪失。
京都西検定も準2級ぐらいになってくると難しいねんけどね。
まぁそれはおいおいと言う事でまた来週。(^^)/
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06年10月9日
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“釈迦部屋”とHNについて
今日はまぁ“ここ”の由来について聞いて下さい。
今のHNが shaka なので、みなさん「釈迦+部屋」と思ってはると思います。
が、それはハズレですのでね。元々は「釈迦部+屋」やったんですよ。
はい、どうでもいいね。
──つづけます。
昔っからなんか自分の店ってのをやってみたかったんですよ。
趣味が高じたお店ってたまにあるじゃないですか。あぁいうの憧れます。
で、当時クラスでは「おしゃかべ」や「しゃかべ」と呼ばれてました。
それもこれも、オーストラリアにホームステイさせてもらった時に遊んでもらってた、
ジェシカが「さかべ」を発音できなかったことが発端やった気がします。
で、それを漢字にしたのが釈迦部。長い間これがHNでした。
そして、そんな俺が開く個人のお店という意味を込めて釈迦部屋が誕生したんです☆
ちなみにHNの変遷をお話しますと、“でっくん”という人がきっかけです。
彼が俺の事を最初に「釈迦」と短縮して呼びだしたことからHNを釈迦に変えます。
これははっきりと覚えていて、釈迦の方が短くて打ちやすいってのが大きかったです。
さらに、日本人以外との交流も増え、使い分けが面倒なのでshakaにしたわけです。
ちなみに、釈迦部屋が誕生するまでの1年半ぐらいはずっと、
「チャレンヂ道考会」と言う同好会HPを運営してたんです。
クラブ活動をとりとめもない日記で書いてただけでした。
それが、さらに自分勝手なサイトに変わって行ったんですね♪
ちなみに、最初は「しゃかべ」をどんな漢字にしようか迷いました。
でも、例えば「謝過部」のように変換が面倒だと、相手に悪いと思ったので。
さすがに社歌ってのはおかしいですし、まぁお釈迦様を軽く目指そうかな、と。
しょーもない話を長々としましたが、また皆さんのHNへの思い入れ、聞かせてくださーい。
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06年10月13日
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日記を…
書きたい理由。読んでもらいたいから。
書かなくてもいい理由。君と一緒にいるから。
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06年10月14日
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書かなくてもいい日記を
それでも書きたい理由。たくさん思い出したいから。
と言うわけで、さぼり気味やなー。まぁほんま書きたいことは山ほどあるけれど。
どうしようか。山が大きくってしかもたくさんあって困ってる今日この頃。
ついこないだ、ふと夜中に目が覚めたら手をつないでた。
正夢ってそんなとこでも起きていて、なんとなくデジャブのような、
でも同じことを考えているっぽくて、まぁ口には出せない気持ちを胸に。
明日は熱血青春運動会や。
この日記を書いてからも、半徹夜の準備が待っているだろう。
たくさんのことが思い出になる前に、体を動かして夢中に飛び込んで行く。
思い出よりも速く未来へと飛び込んで行く感じ。これが今の俺です。かっこいい♪
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06年10月16日
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プラネタリウム
じっと空を眺めている。
少し表情を変えたのかな。今夜も月がくっきりとあいつを、そして僕を照らしている。
明るい空は明るい僕を。暗い空は暗い僕を物語る。
限りなく曖昧な境目にあるドラマ。
光が暴れだす場所にして闇が飛び出す場所。
君が僕をつくってくれたように、僕も空をつくろう。
そしたら、時おり激しく降る君の涙も僕の力になるから。
こうしている今も僕の奥底から想いが沸きあがっているよ。
中には沈みっぱなしのものもあるけど。
でもどうしても君にだけは見せられなくって。
波音もかき消してゆらゆらと、ただ君だけを一面に映している。
橙色と酸橙色
酸橙色って、どんな色だか想像できますか?
中国語のMicrosoft Office Wordを触ったんですが、
文字の色を変えようとしたら、オレンジ色は“橙色”って書いてあって、
で、その中では俺が一番好きと思う色を見てみたら“酸橙色”らしいんですよ。
まぁ実はこんな色の事やねんけどもね。
いっつも使ってる色やん!ってか中国語っておもろい表現するなー。
ちなみに家に帰ってWordを立ち上げてみたら、
橙色はオレンジ、酸橙色はライムと表記されてました。それが日本語版Wordです。
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06年10月17日
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こだま
さぁ元気よく歩き出そうぜ
下界の景色はさっき通ってきたから知っている
ひっぱったりひっぱられたり でも二人は振り返らない
そこで満足してしまいそうで怖いから
足が止まったらそこで負け、だなんて思っているから
俺らの斜面は少なくとも二人には見えない果てまで伸びていて
頂上に見えるあそこが頂上かどうかなんて君にも僕にもわからない
行けばわかるけど
雨風が強けりゃ強いほど盛り上がってく
坂道かどうかすらわからない未来へと軽快に流れる足音
背中を追い越してどんどん行くよ
山に土を 君に水を やっほー やっほー
立宇治
祭り前の俺と祭り前のmoとで祭り前の母校を訪れた。
そう、俺達は来週と来月からそれぞれ仕事という祭を背負っていくのだ。
たくさんの人に会って喋った。短い時間だったが、中身は濃かった。
特にとしこさんとの記念撮影は熱かった。アメリカンクリーニングの閉店には驚いた。
みんな俺達のことを心配してくれる。
でも遊びに来てる姿も嫌いではないようだ。むしろ歓迎してくれる。
あの場所は俺達にとっては原点の1つでもあるのだろう。
タイムカプセルの掘り出しにも、みんな立ちあいたいと言っていた。
テラモさん、堂土先生、品田先生、たけべさん、井村先生、浅い先生、玲子先生、和美先生、栄一先生、小曾根先生、寒蝉先生、荻野先生、としこさん・・・、たくさんすぎて忘れたけど、第一目的だった元春先生が守山校にいることが分かっただけでも収穫だったかな。
3年間、1度も休まなかったあの学校には今でもまだ、たくさんの忘れ物がある。
宇治田楽にあのお方も参戦!?
ものすごい勢いで“でま”が回ってるみたいですね。
田楽に宇多田が来る。
「宇治田楽」と「宇多田ひかる」。これを読み違いしてる人が街中には居るんだってさ。
“誰かの願いが叶うころ”は名曲やけど、あの宇多田さんは来てくれません。
悪しからず!あかんなー。誰が最初に読み間違えたんやろ・・・。
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06年10月19日
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you mean ハナミズキ
俺の母さんが18歳だった頃の話。(さっき初めて聞いた…)
俺がユーミンの“海を見ていた午後”って曲を聞いていた。
そしたら母さんが、「それ、海を見ていた午後やろ?」みたいなこと言うてきて、
実はその歌詞の中に出てくる山手の“ドルフィン”って店に行ったことがあるらしい。
「ここだけの話」らしいがまぁあっさり公開やな。
実は、当時付き合ってた人は横浜の人で、ユーミンの話したら連れてってくれたらしい。
ソーダ水を頼んだらしい。海も見えたらしい。その話、親父は知らんらしい。
母さんは30年ぐらい前のユーミン好きらしい。それ以降も聴いてるらしいけど。
俺も1972-76のベストが一番好きやけど、でもそれはあの頃のユーミンが天才やったから?
その曲が良いのではない、想いが重なるから良い曲になるのだ。
俺にとってあの頃のユーミンは、いつも車の中で聴かされていた曲達やからなー。
ちなみに、一青窈のハナミズキはやっぱり好きやなー。また歌ったろ。
初めてした口づけは、二人にとって百年にも感じられる時間だっただろうから。
相互理解
最近、中国人留学生と毎日遊んでいる、24時とかから。(そんな暇ぐらいあります)
日中交流にお熱な彼は、日本語で“留学生と国際青少年”みたいなテーマで喋ろうとしてる。
だから、その構成や添削をやっている。スズキとかも何故か手伝わされてる♪
昨日、動物園に行った。ちなみに1人ね。
久しぶりってのもあるかも知れんけど、ほんまおもろい。中でも猿山が飽きない。
お昼12時に入ったんやけど、ほんまそっこらじゅうに幼稚園児が居て、
たぶん500人はおったやろなぁ、最低でも4つの幼稚園は来てた。
どこの柵見てもぶらさがってるし、乗り物にも群がってるし、弁当食いだすし、
動物園に入った瞬間、こいつら動物より多いやんけ!って思った。動物園児。
忘れてはいけないのが、中華そばが意外と旨かったことやな。
脱線したけど、動物が飼育係さんに心を開くのは、お互いに好意を感じるから。
動物ですら笑顔に見えることがあるのに、人間やのに無愛想な人種がいるものだ。
国際交流も同じで、人間と人間でもやっぱり自分の理想・欲望ばかりぶつけてはダメ。
それは恋愛でも同じやろうし。まぁとにかく動物園に行くと相互理解が深まるよ★
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06年10月20日
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言葉にしかできない
他の誰もが男にしか見えないほど君だけが女に見える
握りからめた手は心臓よりも強く震えていた
負けないぞって親指を重ねる君に苦笑い
たぬきやったら抱えあげて頬ずりしたり キリンやったら首にしがみついたり
でも人間である君を俺にどうしろと?
いっそのこと目が見えなければ いっそのこと口がきけなければ
そんな風に思ってしまうのは きっとまだ 気持ちが足りないのだろう
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06年10月21日
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宇治田楽まつり
まずは、祭に力を貸してくれた、
ゆっきー、よしお、陶芸家、ましゃじゅ、のりさん、あゆ美ちゃん、あっき→
らに今更ながら感謝を述べておきたい。ナイス働き!
それから、moやなかしCさんにゆかりちゃんは会えて良かった。ありがとう。
特に誰にも言いませんでしたが、僕はこのお祭が好きなんですよ。
なぜならば支えてくれる人がたくさんいるからです。僕も支えているからです。
行進の途中で声をかけてくれた元田楽座のみなさん。
“さかべがんばれー”の一言に、じわっと涙が出てきて、乾かしながら歩いてました。
毎年当たり前のように応援しに来てくれる安達さん姉妹。
一緒に出演することは絶対にないけど、でも僕はあなた方の応援声に胸が一杯になって無言でしたけど握手を求めました。
僕にとっては8回目となる宇治田楽まつりでしたが、
“過去最大の解放感”を味わいました。過去最大の失敗もしましたけれど。
まつりのあととは寂しいものです。
まつりのあとは、なぜか1人で静かになりたいと思います。
そういう一人旅的な孤独を楽しむのも祭の醍醐味です。
そして、思い返せばやはりたくさんの人の気持ちが交錯した傑作だったと思います。
鞍馬の火祭りは叡山電鉄が切符買うのに2時間待ちとかそういう危険な祭なので、
まぁ今年はうちでJと麻雀をして平和に終わってしまったけれども、
来年こそは気合入れて行きましょう。絶対アツいって火祭り!!
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06年10月22日
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時代祭と鞍馬の火祭り
鞍馬の火祭りに関しては、もはや何も言うまい。
来年は本気で!!これだけ分かっていればそれでいい笑
時代祭を自分の目で見たのは初めてでした。
まぁ明治〜平安時代までの色んな衣装着た人らが基本は無言で歩くだけやし、
まぁおもろないっちゃおもろないけど、たまに喋り専門のおっさんが居たり、
ちょっと乗りの良い人がおもろい動きしたり馬が暴れたりと盛り上がったり。
観覧席を予約してたんやけど、周りに座ってる人らは見渡す限り年上ばかり。
有料観覧者も何千人かは居るんやろうけど、年下って50人ぐらいじゃ??
少なくとも年下に会うことはなかったな。まぁそんな祭でしたわ。
祭にもいろんなものがあるなー。京都の三大祭はこれで全て自分の目で制覇ですわ。
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06年10月24日
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国境食堂
誰が何の目的でこんな名前にしたのかは分からないが、
とにかくここの“とんかつ定食(大)1,000円”はえげつなく量が多い。
普通に見たら、2人分以上はある。かつの皿がダーツ板ぐらいでかい。
むかーし、高校時代の先生とスズキとで来たことがあった。
皿うどん系を頼んだ気がする。からしをまぜて食べた記憶があるし。
それで、2週間ほど前に行ってみたら、謎の閉店してた。
張り紙もなく、なんでや・・・と思って、また言ってみたら今日は奇跡の復活!
あー、でも1食分ぐらい残してしまったのは凄い罪悪感でした。
小学生時代の自慢と言えば、給食を残した記憶がない、ということやのに。
親の教育で、食べ物を残すということへの罪悪感を植えつけられてきました。
次回はとんかつ定食(小)700円を食べきって、罪を償おうと思いました。
本日の名言:俺の胃袋に国境はねぇ!
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06年10月26日
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客が机を拭いて帰る店
黄檗自衛隊の前に“ぐりぐり”と言う小さな定食屋がある。
5人しか入れないが、店内に入るとすぐ靴箱があり、裸足でカウンタに向けて座る。
おしながきはおかずがたくさんあって、それにご飯を頼むのが基本みたいな感じ。
そのままでは迷ってしまうので、店員さんが今日のおすすめなんかを言うてくれる。
そういう店にはたいてい常連が居て、店員とだべっている。
まぁ店員いうても2人で切り盛りしてはるので、どっちも店長みたいなもんやけど。
そんな会話に適当に混じりながら、店と客と客が一体となって食事の時間が過ぎていく。
地元の話をしてもちゃんと返ってくる。宇治田楽ネタも通用する。ってか詳しい。
料理だけでなくて、味だけでもなくて、楽しい時間とかそういうのにも価値がある。
食事ってそもそもそんなもんやったんやな。たまにはそういう飲食店もええですよね。
ちなみに店名の“ぐりぐり”はとあるフランス映画に出てた猫の名前らしい。てきとー
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06年10月27日
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坦々麺はラーメンか
ラーメンって、豚骨魚介とか鶏がら醤油みたいに、意外とはっきりしない味が多い。
“醤油・味噌・塩”みたいにはっきりしてるものよりも、Wスープとかそんなのが多い。
その点、味噌ってあんまり混ぜ物がないなー、と気づいた。
豚骨と言えば、塩豚骨、豚骨しょうゆ、鶏がら豚骨のようにたくさん混ぜられる代表。
で、俺は鶏がら豚骨か豚骨魚介が好きなんですわ。
単なる本気豚骨は九州で思い知ったので、もはやぎぶあっぷ。
ところで、坦々麺ってラーメンやと思いますか?
俺はラーメンやと思ってるんですけどね。
あと、“醤油・塩・味噌・豚骨・坦々”から選べと言われると坦々。
うーん。まぁ結局うまけりゃなんでもええやん。誰か連れてってー。
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06年10月28日
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言葉のキャッチボール 言葉のバドミントン 言葉の麻雀 言葉の…
高校卒業以来、麻雀でしか顔あわせへん顔ぶれで懇親麻雀してきました。
半年〜1年に1度ぐらいの頻度やし、いっつも会う度に状況が変わってておもろい。
500円しか持って来てへんやつが−54を叩いて破産したり♪
朝帰り。京都御苑は快晴、ほとんど徹夜やったから暖かい芝生で寝た。
なんどか起きたけど芝生は寝やすいなー。
そのうち子どもらの遊び声とかが聞こえてきて。
バドミントンをしてるおばあちゃんと女の子。
キャッチボールしてるおじいちゃんと男の子。
子どもって自分が楽しかったらええねんなー。
おばあちゃんは女の子の打ちやすいとこに打つねんけども、
女の子は明らかに本気で羽を叩いてるからおばあちゃんと2,3回しか打ち合えへん。
男の子も本気で投げてるねんなー、おじいちゃんは取りやすいところに投げるのに。
まぁ子どもってそういう遊びの中で、おじいちゃんおばあちゃん側も経験して、
相手の気持ちも考えられるようになってくんやろなー。
“自分が楽しい”から“一緒に楽しい”に昇華できるかどうか。永遠の課題ですねー。
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06年10月29日
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俺は今やっと幸せだと思う
昨日の日記は“自分が楽しい”を“一緒に楽しい”に変える話でした。
それには努力が必要やと思うわけですが、
その努力をどんな形にするかが悩みどころですよねぇ。
例えば、僕は煙草が苦手です。
では一緒に楽しむのを諦めますか?そんなことはないです。
では一緒に楽しむからには俺も煙草を吸わないといけないか?
そうでもないと思うんですよねぇ。
一緒に煙草を楽しむのではなく煙草を吸う時間を一緒に楽しむわけですし。
だから例えば俺は、煙草吸ってる横でガムを噛みながら
「煙草って不味いよな〜」と喋ってたら良いわけですよね極端な話。
お酒でも同じで、ビールを楽しんでる人とビールを飲む必要はないはずなんです。 ほんとはね♪
要は、一緒に楽しめるかどうかは、楽しい側がどれだけ配慮できるかなんですよきっと。
まぁ俺は基本的には楽しんでる側なので、
楽しくない側をどう同じ温度にするか頑張ってるつもりです。
でもあんまり意識しすぎると逆に楽しくなくなったり、難しいですね。
明日から平日は定時で働くことになります。通称“くじろくじ”ですね。
立場はどうであれ、“バイト”ではなく“仕事”の意識で取り組みます。
半年先に旅立っていた社会人のみなさん、仲間として向かえ入れて下さい。
それから、学生気分最終日(?)に出会った主に学生(ってかレオ)のみんな、ありがとー。
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06年10月30日
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味が変われば名前も変わる
まぁ今日は予定のくじろくじを2時間ほど過ぎた20時上がりでした。
なんやかんやで雑用って多いんですよね。大した仕事やないけど。
やることが多彩やから使う物が多い、手順も多い。
まだまだ覚えるのに時間がかかりそうです。
まぁ倉庫整理とか多少の力仕事もあったりで、初日はバランスよく疲れました。
うん、まぁこことは別に仕事日記みたいなのをつけてこうと思ってますが。
ほんまに腕時計は必要やね。あと、手帳とかメモ帳とかね。
なんで必要なんかはその状況に陥るまで理解できなかったですけどね。
サントリーのジョッキ生って商品がうちの標準ビールっぽいです。
今夜はキムチ鍋やったんですが、親父が相変わらずビールを残しまして、
まぁ今までやったら“俺はええわ”で終わってたとこですが、
まぁビールなんてみんな飲んでるし、一緒に飲めたらええんやろなぁー、
ってことで嫌々飲んでみたらまた一段と旨くなってるよビールが。
まぁそれでも下の上って部類ですけどね。まだまだ不味い。
でもこのジョッキ生ってのは薄いのかなんなのか、とりあえず美味しいですがな。
缶を振って炭酸を抜いてみたらもっと旨くなった。中の下ぐらいになった♪
いやー、俺もジョッキ生ならいけるかも、ね。
ジンジャーエールを混ぜたシャンディーガフで慣らして来た効果が現れてきたかな!?
というわけで、そのうちshaka部屋で飲み会開催やなー。
まさか俺の口からこんな言葉が出るとはね。
もうこの際、坂部をやめて酒部に名前改めよかなぁ。どうでしょうか?賛成?
やっぱ社会人って別次元なんやろなー。なんも関係ないやろけどさ。
あーそうそう。やっぱりラーメンって熱いよね。
今日も会社ではラーメン話から入ってったよね。
なんなんやろこの流れ。断ち切れへんなー。まぁこんな感じで頑張ってこー。
そういえば、はまだ誕生日おめでとう。お前らが卒業する時には一円玉掘ろうな。
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06年10月31日
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最後の日
昨日もまた順調に仕事を覚えてきましたわー。なんら不安要素がない。
やっぱ派遣と違って、周りのみなさんとながーい付き合いってのが分かってるし、
なんかまぁ派遣は派遣で変な仲間意識があるけど、やっぱこっちの方がいいような。
で、終わってからまるでストレス発散かのようにラーメン小路行きましたわ。
ラーメンだけが俺の気持ちを分かってくれている笑
母!まさに母!母なるラーメン!母さん!ありがとう!!母さんと会えて良かった!
で、京都駅に向かう途中、京都タワー付近でマシャジュって人とすれ違った。
そのままミヤコジムキョクってのに一緒に歩いていった。
なんか楽しいなー。仕事後のなんちゃらやなー。
そんでから、俺にとっては事件ですが、夜の新福菜館を食べに行きましたわ。
あー、朝専用が午前専用になり、やがては日中OKから終日可に。
ルールってどんどんやぶられてくんやなー。やぶってんの自分やんけとは思いつつ。
そして、ラーメン小路の小川珈琲とやきぐり屋は昨日で閉店!!
栗アイス食おうとしたら前のお客さんが最後のシュークリームを購入。
でもすんごい優しい店員さんが、今までありがとう、って無料で栗のお土産くれた。
大階段にはもぅクリスマスツリーが立っていたけど、暖かい夜だったね。うん。
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