※ネタバレを含みますので、是非映画をご覧になってからお読みください。
映画は何十本も見てきましたが、映画館で見たのは3本目です。書いてる今日見てきたんです、黄泉がえり。アイ・アム・サム、マジェスティックに続いて文句なしの映画でした。僕の好きな面白みと今の僕にぴったりの題材が絶妙でした。 いくつか要因をあげることができますが、その1つがストーリー構想でしょう。 ずばり第2のシックスセンスでした。これでは知らない人にはわかりませんね(謝)。これはこの映画の面白みの一面です。視点が死んでる人・・・と言えば納得してもらえるでしょうか。黄泉がえりという現象が作中で起こる前からすでに黄泉がえった人が描かれていること。ここが仕掛けです。まんまと騙されました。いやいやいや、ほんと騙されてよかったです。頭が良い人は時たま生きているのがつまらないようです。それは頭の高回転さゆえに未来が読めてしまうんですって。手品や映画もネタが先に分かってしまえば面白さは半減です。 要点2は素直に竹内結子さんが好みであるということでしょう。少なくとも他の人がやっているよりもこの作品に対する評価は上がっていました。真っ直ぐな役があっていたと思います。まぁ彼女が死んでいたなんてことは信じたくありませんが・・・。 3つめはやっぱり設定の柱である黄泉がえりに対する複雑な感情です。 強く黄泉がえって欲しいと願えば会えるのですが、まず考えたことは、「自分だったら誰を黄泉がえって欲しいと願うか」ということです。これは当然ですし、作中でもそういった会話があります。 僕は15歳の時に大事な仲間を1人失っています。祖父や親戚のおじちゃんも失っていますが、真っ先に思い出したのは彼です。やはり他人といえど友達の死は強大です。しかし彼を黄泉がえらせようとは思いませんでした。1人だけ特別な人なんて居ないからです。逆に言うと10人ぐらい黄泉がえってくるかも知れないということです。 次に考えたことは「誰が自分を黄泉がえらせてくれるか」ということです。これは多いな♪と。まぁどんな人でも誰かに支えられて生きている、つまり黄泉がえることができるということです。一時的な感情ですけれど、もっと大事に生きようと思いましたね。抽象さに逃げました。まぁ誰か黄泉がえらせてね。 そして「死んでくれ、○×さん!!」と思いました。これは個人的な話ですが、釈迦部は恋愛の節目を迎えています。手紙に思いを込めて離れたのですが、その別れを死と捉えると強く念じれば恋も黄泉がえるかなぁなんて期待しちゃいました。せっかく吹っ切れた直後にこの映画、絶妙な皮肉でした。実に印象的な映画となりました。 誰が見ても、誰かを思い出すことができる素晴らしい映画だと思います。どんな経歴の持ち主であったとしても、泣いてしまうのが素直な反応だと思います。それぞれの過去・現在・未来を探ってみてください。 初日に見に行っていたとは知りませんでした♪映画を見に行きだしたのは映画好きの友達のおかげですし、感謝しないといけませんね。今日から3週間映画館で、あとはDVDなどで是非この黄泉がえりを見て欲しいと思います。 |