幼児犯罪
02/08/01

ついに大学も夏休みに入りました。そんな中、昨日のヤフーニュースに「<キレる>4、5歳児クラス半数に問題行動 保育園の全国調査で」という記事があって、ついにここまで若年化したかと肩を落としました。このままでは時が経つに従って次第に時事問題が若者に浸透してゆき、時を重ねるに連れて日本は現代病に蝕まれていくであろう。年代を問わず客観的に見ておかしいという事件が多発している中、私達国民がそれらをTVで見て目を疑っているように、世界からも日本がキチガイ国家のように見える日も近いのではないかと心配している。やはり体裁というものは大切で、世界から見放された国は地球での存在を拒まれても仕方が無い。人は人家は家の精神は時と場合によって好悪を左右する。ここまで世界に頼りっぱなしの日本が何故こんなにも大国なのか。

確かに私達昭和末期生まれの世代は日常で「死ねや」などの言葉を普通の表現として活用している。しかし言葉というものは難しくて、本当に死んで欲しいと思って死ねを使う人はほぼいない。表現の生々しさが買われて現代語として定着したのだとすれば当然の変化である。

相手に死んで欲しいと思った場合はやっぱり「死ね」を使うのだから、やっぱり死ねの意味合いがあやふやになっていることは確かである。別にそれ自体が犯罪につながっているのではないとも思う。一般的に、暴力的な性格などは親からの虐待を受けることによって芽生えると解釈されている。それはそうだと思う。何も知らない真っ白な子どもが色々な出会いと共に学習していく中で、幼児の心を形成するのはほとんど家庭環境だと言っていい。結局は親であるはずの親が子どもを育てるのと同時に自分のために剃り削っているのだ。

遠い昔と違ってあらゆる面において生活が向上(変化)してきた今、人類の目的は子孫を残すことから遠ざかりつつあると思う。いくら本能とは言ってもここまで力を手にした人間は、生きることの目的を自分で見つけることができないものは滅びるという厳しい時代を築いた。多くの人達は言う、漠然とした生き方では成功しない。成功ってなんですか?自由を手に入れるってことはこれほどまで苦しいことなのか?人間は蟻よりもウサギよりも自由だと思う。犬なんか一日中家に居ても飽きずにぬいぐるみと遊んで寝て食べて走ってそれらを繰り返して。子ども達が親から弱いものいじめを受けるということは一体どういうことなのか。自分の子孫が大事じゃないのか、やはり自分あっての子孫なのか。確かに動物の中にも自分の子どもをほったらかしにする親はいる。だからって俺らもしていいのかなぁ、俺らは辛くも頭のできが違うんやからちょっとは自分を犠牲にしよぅや。個人的な話「子どもは嫌い」っていう人とはやっていけそうに無い。でもひょっとしたら友達の中に子ども嫌いがいるかも。それでもその部分においては絶対に理解し合えへんね。僕は、子どもが嫌いということは人間として最大の欠陥やと思います。そんなわがままいっていいのか、自分も親の子どもやったくせに。そんな考えの人が親では子どもたちがキレるとしても全然不思議ではない、まったく仕組みに沿った結果だと思います。悪口ばっかり叩いてます。そう、元来の生物の行動を考えれば全てをしきっていたのは「力」。力の強いものから順番がついていく、生きてゆける。この仕組みはいかに人間が進化しよぅと変えられるような法則ではないのでしょうか。
巨大なCPUの中で生命の誕生が半永久的に繰り返され、しまいにはメモリが足りなくなってフリーズ、全能の神は再起動をするのであろうか。以上弱い者の戯言でした。

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