言葉の大きさ 02/04/10

こんな題名で文を書こうと思った理由は他でもない、ここ2、3日の間ずっと声が枯れていて、全くと言っていいほど会話ができない状態にあるからである。はっきり言って、喋れないということは、めちゃめちゃ辛い。私は普段は喋ることができるので、生まれつき喋る能力が無い訳ではない。どっちが苦労してきたのかは明らかであるが、当たり前のことが突然否定されると、かなりの衝撃を受ける。事実、今の私はひどく堕ち込んでいることだろう。
植物って会話してんの?と思った年代はもぅとっくに過ぎ去ってしまったが、命あるもの皆子孫を残すために生まれてきたと言っても間違いではないだろう。同種の間で意識の交換をすることなく、行き続けることができるのだろうか、それが植物なのだろうか。まさに本能だけで生きていける例なのか。どんな生き物でも、形を変えて、仲間と交信しているはず。音(声)であったり、動きであったり、他にも私の知らない生物の世界が広がっていることでしょう。私は人間です、今まで言葉を使って楽しいことや悲しいことなどの感情を味わってきました。言葉は互いの情報交換から始まって、やがては心と心を支えあう仕組みになっているのです。私は冗談抜きで、今日一日を喋らずに常に紙とシャーペンを持って手書きで会話を凌ぎました。生まれつき話せないことは、どれほどまでにその人を闇に引き込もうとするのでしょうか。明るく元気でいつもみんなと一緒だという人にも孤独だという人はいると思いますが、孤独で寂しいという人に、妙に黙って口数が少ないという傾向があることは否定できないのではないでしょうか。生き物には群れるものと孤独なものがいますが、人間は群れている種です。言語が違おうが見た目が違おうが、本能的に仲間である同種との接点を大きく左右する言葉はとても大切なものです。私はそのうち声が出るようになるでしょう。そして、より相手への言葉の影響力を知って会話することでしょう。私がただの御喋りと呼ばれた時代は終わろうとしているのです。と同時に今まで私の嘘に脅かされてきた犠牲者達に、この場をかりて謝らなければなりません。「私が軽率でした、これからは言葉を大事に使っていきたいと思います、ごめんなさい」とまではいかないかもしれませんが、少しは自分が変わることを願って筆を、タイピングをやめる・・・