言葉の違い
02/05/25
言葉の違いについて教えてくれという謎の置手紙があったので、少し自分なりの解釈を書かせていただきます。
まず質問されたのは次の3つです。
1.意味と無意味 2.暇と多忙 3.有意義な時間と無意味な時間
さてどうしたもんか。だって見るからに全く反対の意味の言葉の違いを教えてくれって言うんやもんこの人。でも真剣に考えなくては、説明できないのに「当たり前」の一言で片付けることほど無責任なことはない。まず一つ目の意味と無意味。意は意識や意見などの思いなどの目に見えないものを指している。それと味。見えないものを味わう、つまり身近に感じる。そういう実感こそが意味なのか?そうかもね。無意味っていうのはそういう何か見えない大切なものを感じ取ることができなかった時に生じる感情なんちゃうやろか。「あなたにとって大事な人ほどすぐ側にいる」らしいけど、それと似たようなもんで、なにかシンクロ?みたいな勘が働くこと、やろ。だからこれは何かあるっていう直感が意味を持たせるってことにしておこうや。
ほんで2つめの暇と多忙の違い。これは〜時間やろ?万物は時間に縛られて生きています(細かい事は言わないで、特に物理学専攻とかの人)。その限界(寿命)をどういう風に配分するかは自分次第。暇というのは自発的な時間を手にできなかった時間を言うと。ということは、多忙とは自発的な時間であるべきで、例外としていやいや・・・とかあるけどなぁ。とにかく前もってやることを自分で考えていた場合は何をしていても「暇」ではないわけで、例え家でごろごろしてたとしても、一週間前とかから次の土曜は一日寝るって予定を立ててたならばその時間は暇ではないということやね。予定通り作業中なんやから。逆にどんなに仕事してても、突然手伝わされたとか心外な仕事やった場合はそれは暇なんや、汗は出てても遊べへんでも。ということで、計画を立てるようにしましょう。(正直、自分でもびっくりするような結論に達した、なんかうれしい。結構まともな理論やと思わへん?)
最後は「有意義な時間と無駄な時間」の違いか〜。さぁな、暇と多忙+意味と無意味がこれちゃうけ?ってことはこれは今までの2つの集大成。つまり、直感的な感覚と論理的な計画性がその人の時間を変えてゆくというこっちゃな。重要なんは、有意義か無駄かを感じるのは自分やけど、その自分の評価はなんぼ客観視しようとしても無理。結局は他人が「あなたは有意義な時間を過ごしている」と言われたら、自分はどう悩んでてもそれは関係あらへん。世の中は相対的に動いてるんやからね(突っ込まないで)。この3つの問題とも結論から言えば、こういうことを考えている時点でその人は他人よりも時間を知っているということかな、まぁ無駄で暇な意味のある生活を送りたいものです(意味不明)