宇治橋

宇治橋の記憶

646年大化の改新のころ、道登らによって架けられた。 今から1300年以上前の話。
長い年月が過ぎ、1180年源頼政が平家討伐 の兵を挙げました(平等院でも説明しています)。
後に宇治橋の橋合戦 と呼ばれています。1221年承久の乱にて宇治橋が戦場となる

・「夢の浮橋」(宇治橋)
大化2年(646)に架橋。洪水により流出を繰り返し、この平 成8年に架け替えられたのが最新である。宇治川上流に張り出した三ノ間は、豊臣秀吉が茶の湯の水を汲ませたところと言われている。恋い 焦がれる浮舟からの便りが来ないことを嘆いた薫君の「夢の浮舟」の 古跡がある。上流側に張り出した欄干「三の間」は、守護神「橋姫」 を祭った名残とか。薫と浮舟は、宇治橋が長く落ち果てないことを例 えて不変の愛を交わした。

ここから下は、非常に 個人的な宇治橋の記憶です。

あれは、寒くなりだした01年11月1日のことやった。
夕飯時、宇治橋前交番の向かいの橋のたもとで一組の男女が自転車に乗ったまま、何か話しとる・・・
まぁ、片方の男はこの文章を書いているYb本人なのであるが、それは、 紛れもなく短時間の告白やった。
そうYbは高校生3年になって やっと、高校生活初めての恋をしたんやったなぁ。
それは僅か一週間後に決着を着けることになったのであった・・ (涙)T_T
宇治・・・それは忘れる事の無い(02年11月現在再読して思い出しました♪)思い出の詰まった場所