-登山参加者全24名紹介-
shaka 日の出を見たのはいつぶり?あんなの下界でも見れるもんなの?
スズキ 富士山では負傷者などの介抱にもあたる活躍っぷり。
環境商 立命チームを率いて下さった最年長23歳独身、三国志仲間。
前健 和歌山から来たラーメン仲間でまじ喋りまくって登ってた笑
よしお やっしーと一緒に滋賀からヒッチハイクで富士山へ。
やっしー よしおと共に昼に登り夜下山、俺らと出会ってまた登頂!
綿矢 初めてのくせに頭の懐中電灯など準備は一番良かった花火師。
紺野 ヤクザと呼ばれる紺野も富士山の前では無力、単に良い人だった。
のり 立命ベンチャービジネスコミュニティーの代表として登った!?
秀星 失ったものは多かったけど、俺は元気です。宇治田楽の太鼓奏者。
中澤 山頂バドミントンやったよねー、一瞬。だって寒かったもの。
スリッピー 香港に住んでいた時の貧弱な面影はなく、登山男になっていた!
黒べぇ 漫画を読まないけど描くのが上手い、是非富士山物語を4コマで☆
マコ ドラえもんの裏山に憧れて22年、富士山頂には一本杉は無かった!
mo 登山前の過度の筋トレがたたり、山腹でテーピングをしながら登頂!
a-n 大学に入って3度目の富士登山だった最も経験値の高かったはずの人。
破壊さん 見た目からして富士山に住んでそうだった。
ベッカム 名前のせいで外国人達にいじめられていたとか。星空は?
Ken Yaa, I love 坦坦(ラーメン屋) the best.
Isai Look my Fuji leg Shaka lol (実話)
Bach Fujiwara-Tofu shop, wow, I love it!! (頭文字Dマニア)
Kyle I loved seeing Japan and Mt.Fuji, and it was a great trip!
Shaz Hey! Are you ok? Are you ok Shaka? I miss you...
Cella I hope to meet you again guys (^o^)
以上24名 (18歳〜23歳 男23:女1 日本17:米4:豪2:鬱1)
-それぞれの出発-
10日、環境商号は一足先に立命館VBCメンバー5人を乗せて静岡の別荘へ。
ほぼ同時刻のお昼、やっしーとよしおの2人はヒッチハイクを開始。
京都を出発した車は3台。
1つはmo号で京都南部を拾って一次集合場所の南草津フレッツへ。
Shaka,a-n号はアメリカンオージーを拾うために、ホームステイ先のCaptainJack家に集合。a-n号にはアメリカン、shaka号にオージーを乗せて出発。
-南草津フレッツ-
3台が集合したのは23時ぐらいだった気がする。
中澤・破壊さん・ベッキャムがここで合流し15人となる。
5人×3台かと思いきや、mo号はスズキとマコの3人で、shaka号にはshaz,cella,中澤,秀星。残り7人はvoxyに乗り込む。
-第一の悲劇-
南草津出発後、東名に乗って養老で落ち合うはずが、、、2台が道を外れて三重県亀山へ。急遽、集合場所SAが何度も変更になる。
-中澤の教え-
shaka車内では中澤がピ9を使ってcellaと必死で会話してた。
基本英語チャットやから絵が描けるおかげでなんとか成り立ってる感じ。
そして彼はラーメンの伝説について語り始めた…。
端折ると、昔々、仙人が居た。ある日、自分のヒゲを湯で煮てなんかをトッピングして食べた。それがラーメンの誕生の瞬間であるという明らかに嘘出任せのラーメン秘話。オージーの2人は真面目に聞いていましたが。
-第二の悲劇-
名古屋の手前で東名に入る直角カーブありけり。
秀星はカーナビに従ってそのまま直進し、名古屋市内へ間違って入る2台の車。既に道間違えて急いでるって時にこれは泣いた。
-間髪容れず第三の悲劇-
道間違えたため約1時間の遅れとなったshaka,moの2台。
うなだれて名古屋市内に入ると、shazが足元から秀星のケータイを発見。
それは深さ2cmの水溜りへと完全に身を沈めたケータイだった…。
恐るべし車内水没。クーラーの配管水漏れによる水溜り処理で5分ちょいかかった。雑巾に含ませて絞るのを何度繰り返したことか…ほんと水量は半端じゃなかった。
-ニンテンドーDS-
富士山までに3時間以上はピクトチャットしてた。これめっちゃ便利で、前の車と会話ができる優れもの。もちろん高速運転中もcellaと楽しんでいたが、トンネルに入った時は特に凄い!電波が反射する好条件のせいかトラックみたいなのに3台入られた車間距離の状態でもピクトチャットの通信が持続されていた!高速走行中やし100mは離れてたはずやで。素晴らしいですね。
-浜名湖SA-
なんとか3台が合流できたのは愛知県名古屋を越えてからのことだった。
a-n号は1時間程前に着いて寝ていた。ここを出発する時にはかなり明るかったから6時ぐらい?
-富士IC-
富士川ICを降りてすぐのコンビニで10時の開店を待った。別に何の店が開くというわけでもなく、とりあえずやる事ないのと運転手が全く寝てへんのとでアメリカンオージーには車内で待ってもらう。「まさご」の看板見つける。
暴れたいshazとcellaは2人で遠出してでっかい公園とか見てきたらしい。
めっちゃ暑い車内で寝てたよなーshaka号の人達。a-n車とはえらい違い。
-富士も港も見えない公園-
とりあえず海が近いということで「田子の浦の埠頭」に行くことになった。
車3台で向ったが、そこらへんで雨が降ってきた!ついに始まったよこの展開。しかもそこには「富士と港の見える公園」というのがあったが、悪天候のせいなのか何も見えない。田子の浦ってこういうとこなのか、と皆思った。
見えたのは意味不明な2体の大仏だけだった。
――JR富士宮駅で環境商号と黒べぇ・スリッピーと待ち合わせした時間(多分15時)まで暇ということでゲーセンを探してたよね確か。やばい記憶なくなってきてる…。
-ガリガリ君、当る☆-

どうしたんだこの旅は、運が良すぎないか!?
カイルの快挙、初ガリガリ君にして当たり棒もう1本。単価31円!!
まぁこの時点でうすうすとヒキの良さには感づいてたが…。
-結局三国志大戦-
静岡県に桃園町という町を見つけて馬鹿騒ぎしていた出発前。
さすがにこのメンバーでゲーセンは無いやろと結論付けた出発前。

無駄でした。正直SR曹操は熱かった。
どんな嬉しそうやねん。富士山頂でもこんな笑顔なかったよね。歯茎見せすぎ。

――ゲーセンを出て「まさご」を食いに行った。
去年と違うまさごやったがやっぱりみんなに好評やったね。
※ここから下は下山から4ヶ月経過、記憶曖昧中。
-JR富士宮駅-
ここでついに部隊は22人に。
shaka中学時代の友達である黒べぇとスリッピーが到着、2人同士も久しぶりに会ったとか。
さらに環境商車が合流し3台が向かう先は富士山麗。果たして5合目発のバスには間に合うのか。いや、間に合ったはいいが天気はどんどん悪化。山にいながら山頂の方角さえつかめないほど視界は悪かった。
もちろん到着までに後部座席の水をカップや雑巾でかき出したのも記憶に新しい。
-5合目に到着-
何やかんやでみんな疲れ顔。だめだめ、これから登んだから・・・。
雨が降りそうな雰囲気の中でばらばらにバスに乗り込む。5合目でまた集合。
天候の悪さから元気なかったものの、バスが5合目へと登るに連れて霧は晴れ、下界の美しい景色が出現する。bachはカメラを回しまくり、空が好きで空の写真ばっか撮ってるisaiも自分より下にそびえる雨雲をカメラに収めていく。
よし、テンション上がってきたようだな、特に海外勢は叫んでるね。

5合目から見える山頂(方面)の景色。晴れていた。5合目から上は晴れていた!!
うれしかった、またあの悪天候の修行のような修羅のような登山になるのかと、完全にこの日を選んだ俺のミスやと思っていたから。
-さぁ登るか-
このページの一番上にある集合写真はここで撮った。まぁ、まだ5合目来てへんチームがあったものの、急速に日が暮れてきて早く写真撮ろうとなったわけで。
ちゃんとした準備体操もないまま22人はぞろぞろと上を目指した。2人と出会うために……。
-最後の2人-
今回の旅でちょっと日を間違えてしまった2人を紹介しておこう。
やっしー(21)とよしお(22)、この2人は滋賀県草津市からヒッチハイクで富士山を目指した。そこまでは良かった。無事に着いていて安心した。
けど、まさか下山してくる君達とすれ違おうとは全く思っていなかった。予定外。
22人ともなると列は長くなる。それで、早い組と遅い組と普通組みに自然と分かれて登っていった。というか、オーストラリアンの2人があほみたいに速く、nobody stop them だったため放置。まぁ何人かはshazらと一緒に先頭集団に居た。俺もいた。
すると上から巡礼後らしきインド系の2人組みが降りてきた。
俺はすぐさま環境省様に2人を見つけましたとご報告申し上げ、「じゃあ無視するか」と即決した。
結局はこの出会いからやっしーとよしおはもう1度登頂を目指すことになる。昼に登り日が暮れる中を降りてきたというのにほぼ5合目から再び徹夜登山開始。初体験にして1日に2度登るという偉業はこうして達成された。
-斜面は続くよどこまでも-
もぅ4ヶ月も前のことやし忘れてきたからだいぶ省略していこうと思います。
とりあえず斜面はどこまでも続いていた。文字通りお先真っ暗で足元が危なかったけど、俺たちが見ていたのは上だった。下を見たら負けだ。
休憩はちゃんとしていった。でも止まって座り込んだ時も俺たちは空を見上げて星や流れ星を語った。決して下は見なかった、誰も見なかった。
8合目か7合目か9合目か、もぅ分からないところで休んでいる時、あまりにも離れてしまった部隊のことが心配になっていた。○号目の山小屋の前で他の集団と会った時は毎回「助かった!」と思ってばっかりだった。
kenは軽い捻挫、kyleは高山病になりかけていると付き添いのスズキから聞き、どうするか判断できなかった場面もあった。ただ、みんな上を目指していたから、kenやkyleも含めて全員と山頂で会いたかった。
ほとんどみんなご来光が射す前に山頂に到着したらしい。
山頂に着いた時は5,6人仲間が見えたけど、1人で歩いてるうちに完全に孤独になり、下界がよく見える場所に着いた。
日の出まで40分以上会った気がするが、isaiとスリッピーが来るまではただひたすら強風に耐えていた。風に対して真っ直ぐ立つとあわや2本の足では支えきれないほどの風を背に受けて、俺は世界平和ってなんだろうと思っていた。この山頂にこれたのはうれしいけど、でもこの風と崖と寒さ、状況を考えたらここは地獄だとさえ思った。平和なんか訪れない!山あり谷ありが生きていくってことでしょ!そう締めくくった。
-山頂のできごと-
みんな休憩所みたいなとこに集まってきた。
おしるこ400円、カレーうどん1000円、カップヌードル500円。
そんな感じでみんな休憩してた。おしるこは麻雀やってたせいで冷えきったのを食うはめになった。
郵便局からは来たかったけど来れなかった仲間達への手紙を送った。
bachはアメリカの自宅に送っていたが、値段は激安の80円だったと思う。俺が50円でお前80円?みたいな感じやったと思う。おしるこ食うなら葉書5枚出すほうが絶対価値がある。いや、ごめんやけどやっぱりおしるこはめっちゃ量少ないけど価値ありますから食った方がいい。
もちろん自宅にも送ったが、やはり手紙は俺より先に家に届いていた。
「会いたい」とひとことだけ書いた手紙も送った。彼女はまだ持ってくれてるのかなぁ。
風が強くて意味不明やったけどバドミントンもやった。(1分)
手が悴んで牌が手からこぼれたが麻雀も打った。(8分)
しょぼいけど日本で最も高いとこに咲き誇る花火も見た。(1分)
いろいろやれたんちゃうかな。日が昇ってからやっと登ってきたkyleとスズキはあんま時間なかったと思うがみんなよく頑張った。kenが登頂をあきらめたのはほんま残念やったが、満足したよね?
-下山から5合目まで-
とにかくしんどかった。早く降りた集団は午前中に着いてたらしいな。
俺が居た最後尾のグループ(Isai,Cella,Bach,Shaka,スズキ)は確か14時半過ぎてたよな?
とにかくIsaiとBachは高山病的症状を口にし、ゆっくりと黙々と降りた。Cellaは元気で勝手に200mとか先まで降りては待ってた。まぁそのままどっか行っちゃったり・・・。
500ml500円の飲料水も買った、そりゃ買う。
口笛を吹いたり歌ったりしてみたが全く効果なく、みんな元気なかったね。
5合目は天気悪く、それやのに雨振ってきてみんな車に乗るがボクシーがガソリン入れに行ったために車に入れない子達が傘に集まる。
しかもmoのニンテンドーDSが紛失するなど悲しい事件もあった。今となっては良い思い出・・・なわけないか!
5合目で何時間も待ってくれていたみなさん、ありがとう。
-よし、風呂やな!-
環境省ご用達の銭湯に到着。しかしここに来て参加者に決定的な溝が発生。
Isai,Ken,Bach,Shaz,Cellaは風呂に入ることを拒否。これは困った。みんで入ってそれから飯食いに行こうとしてたのに、じゃあ車で待っててくれとしか言えず。
正直、ここからの記憶がない。ちゃんと解散できなかった記憶がある。コンビニから銭湯に帰ったらすでに環境省号は姿を消していた。
確か富士川SAで飯食ったのは覚えてるが、そこまでJR富士川駅以外どっか寄ったかどうかなど忘れた。駅ではスリッピーと黒べぇを見送った、また会えるかねぇ富士山で・・・。
-おまけ-
後日、Isaiらとピザ屋を訪れた時、あまりにもの値段の高さに "Fuji Price!!" と爆笑してたが、店員と話してた俺は気まずかった。
三条京阪の交差点にある土下座像のことをあいつらは「ゴメンナサイ・シンボル」と名づけていた。
1日2度登山を経験したやっしーからは、帰宅後就寝、起床してもまた同じ時間だったという24時間睡眠も経験したとの報告があった。

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